女に振られて北海道参り〜

馬鹿が北海道にやってきた!ヤア!ヤア!ヤア!(1)


何度目の夏が来るだろう。
俺が北海道に単車で行ったときから。

19の夏のことだ。
当時、俺には目の中に入れても痛くない女性がいた。
つきあって1年弱、
「20歳になったら籍を入れよう」と思っていた。
でも、カノジョは待ってくれなかった。
遠距離レンアイのうえ、会社も違う。
おまけに向こうが年上だ。
言い寄ってくる相手が俺より包容力があったらかなうわけも無い。
「オマエを守ってやる。」そう言うことはできる。
でも、「オマエを幸せにできる」といったら、あくまでも可能性の話だ。
「今すぐ籍を入れて一緒に住もう」というカノジョの言葉を、
すぐに受け止められなかった。結局、カノジョと別れた。
「私達、もう会わない方がいいかもね」
7月の良く晴れた日曜の事だ。

しばらく虚脱状態が続いた。
そりゃ、初めての失恋というほどウブじゃない。
だが、マジ惚れしたカノジョだ。
一緒に築きあげる未来予想図、全てが砕け散っていた。
俺は、仕事に打ち込むことで忘れようとした。

7月後半、職場が学校事務のせいか、夏休みは暇だ。
おまけに、有給は繰越ひっくるめて40日近くある
先取りできる仕事はやり尽くした。
そのとき、俺は上司に言われた。
「sal,有給使え。3週間ぐらいだったら大丈夫だ。
ていうより今仕事ないだろ。休むなら今だ。」

俺は考えた。
カノジョと別れて、貯金しておいた結婚資金(わずかだけど)は
丸々使える。
じゃ、どこか旅行するか。と。
今からパスポート取っても間に合わない。
北海道に行くか。と。

「ありがとうございます。じゃ、来週から北海道行きます。」
上司は言った。
「そうか、オマエのことだから単車で行くんだろう。事故らないようにな。
あと、メロンよろしく〜。
あ、言い忘れた、避妊はきちんとやるんだぞ。」

というありがたい上司の言葉で、俺は北海道ツーリングに行くことになりました。
最後の一言は余計だが。

北海道行きが決定した。
あとは旅行の準備だけだ。
俺は、バイク雑誌の「ツーリング情報」を見ながら、
必要なものをリストアップした。

・シェラフ−元々趣味で登山してたので持っている。
・テント−同様の理由で持っている。
・炊事道具−同様の理由で持っている。
・ランタン−同様の理由で持っている。
・クラッチワイヤー、ブレーキワイヤー
  いつも予備はストックしてある。
・灯油−ランタンの燃料として持っている。鮮度もばっちり。
・着替え−とりあえず最低限、防寒対策はしておく。
     とりたてて買う必要は無い。
     
何だ、ほとんどあるじゃん。
問題は積載だ。
俺のバイクは、アメリカン・ドラッグレーサータイプのバイクなので、
リヤシートが極端に狭い。
ためしに、荷物をパッキングして積んでみた。
一番かさばる&重いテント、工具箱は下に、他は上に・・・。
って、ネットかぶせたらヤジロベエみたいになってるし
と、いうことで、テントは持っていかないことにした。

この時点で、ライダーハウスOr野宿確定。

ガソリンは満タンだ。
ブレーキパッドも自分で換えた。
エンジンオイル、クラッチワイヤーも自分で換えた。
プラグも換えた。予備も持っている。
パッキングもOK!
サイフも持った。
忘れもしない7月最後の週の土曜の朝6時、
俺は、当時住んでいた仙台を出た。

そのあととんでもないトラブルが俺を待っていると知らずに・・・・。

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馬鹿が北海道にやってきた!ヤア!ヤア!ヤア!(2)


俺の相棒は調子がいい。
仙台を出て3時間、東北道を130で飛ばし、
岩手の前沢PAに着いた。ここらで昼飯だ。
タバコを一服していると、駐輪場に1台のバイクが乗り付けてきた。
FJ1200だ。すげー。限定解除かよ。
結構重装備なところを見ると、俺と同じ北海道ツーリング組だろう。

基本的にライダー同士は仲がいい。
かるく挨拶すれば、話しやすくなる。
お互い挨拶を済ませた後、一服しながら雑談した。
やはりツーリング話だ。やはり北海道に行くと言うことだった。

FJのお兄さんは、何度か行った事があるらしく、俺に
ライダーハウスの探し方を教えてくれた。
あと、いざというときのうまい野宿のやり方を。
ありがとう。FJの兄さん。すごく役に立ったよ。

FJの兄さんと話してたら、もう1台乗り付けてきた。
なんとハーレー、しかもサイドカーだ。
ライダーはヴィンテージのクラシックにレザーのバトルスーツ。
サイドカーに乗ってる人も同じような格好。
二人ともシンプソンのヘルメットだ。

とにかく金がかかっている。
FJの兄さんとおれは見とれていた。
ヘルメットを脱いで、さらに驚いた。
二人は老夫婦だった。
どう見ても70近くだろう。
その年でバイク、しかもハーレーのサイドカーとは…。
俺は世界の広さを知った。

老夫婦が近づいてきた。
「お兄さん達、北海道に行くのかい。」
あっけにとられ、「そうですが…」と答えた。
さらに、「飯食べるけど一緒にどうですか」と
俺たちを誘ってくれた。
予想外の展開に、いや空腹に負けて、
俺たちは「いただきます」と言った。
多分FJの兄さんも同じだろう。

4人でPAの食堂に入った。
ほかの人はどうか知らないが、俺の場合基本的に貧乏旅行だ。
早々高いのは頼めない。
俺は席についてメニューを見ようとした。
そのとき、おじいさんがオーダーした。

「前沢牛ステーキセット4つ。2つはライス大盛りで。」


え?

え?


俺とFJの兄さんはあっけにとられてた。
明らかに予算オーバーだ。
考えてみると朝から金下ろしてない。

ここで払ったら高速代がやばい。


俺はマジで焦った。

そのとき、俺たちに向かって老夫婦が言った。

「若いんだからたんまり食べな。仲良くなったのだから
 わしがおごりますよ。」


俺は、「神っているんだな。」とつくづく思った。
おいおい、初めてあったやつらに飯をおごるとは…
なんか規格外のものを見た気分だった。いい意味で。


食事をしながら話をした。
老夫婦は、福島に住んでて、元々会社を経営してて、今は引退して悠々自適のこと。
バイクが好きで、いろんなところに旅行しているそうだ。
その日は、八戸に行くという。

俺たちの話もした。
そこで知ったのは、FJの兄さんが20代後半で、会社の有給で行くということ。
あと、老夫婦の孫が、ちょうど俺の1つ上で、大学生ということだ。
俺が働いてると聞いて、みんな意外そうな顔をした。
てっきり大学生だと思ったという。

食事を終わり、俺たちは分かれた。
一緒に走るには、ペースが違いすぎるからだ。
お互いの連絡先を交換し、FJの兄さんは、
「北海道で会おう」と言って別れた。
俺は、「あの老夫婦に絶対お土産送ろう」とこころに決めた。
そして再び走り始めた。

いい気持ちは長く続かなかった。

そのあととんでもないトラブルが俺を待っていた。


<その3に続く>
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馬鹿が北海道にやってきた!ヤア!ヤア!ヤア!(3)


俺の相棒は順調に走っている。
高速を北に向かっていた。
岩手県を抜け、俺は青森県に入っていった。
もうすぐで高速を下りれる。
何も問題ないはずだった。

そんな時、相棒が急にスピードダウンした。
心なしか、エキゾースト音がくぐもっている。
次のPAまであと1キロ弱のところでだ。

俺はスロットルを開けたり閉めたりして、騙しだまし走っていた。
俺は焦っていた。いったい何が起こったというのか?
こんなところで止まるわけにはいかない。
俺は路側帯の近くまで寄せながら走った。
なんかあった場合、エスケープする必要があるからだ。
整備は完璧だったはず。いったい何が?
ただ次のPAへ。それだけしか考えられなかった。

PAまで残り500M弱で完全にエンジンが止まった。
俺は路側帯に寄せ、セルを回した。
プラグに火は着いたが、スロットルを回して、少し進むと、
また同じことが起こった。
もうこれしかない。

俺は、PAにたどり着くまで、路側帯をバイクで押して走った。

隣の低速車線には、車がびゅんびゅん走っている。
トラックが通り過ぎるたびに、俺と、俺に押されてる相棒はあおわれまくっている。
正直言って怖い。おまけに路面はぐわんぐわんと揺れている。
乗っているときは気づかないものだが。
俺は、残り500m弱がすごく長く感じた。

15分後ぐらいに、俺はPAについた。全身汗まみれだ。
このPAには、ガソリンスタンドもある。
俺は、給油ついでにスタンドに入り、バイクを診ることにした。
まず、チェーン。張りは問題ない。
次にプラグだ。俺は、まだ熱いエンジンに手を触れないように慎重に
プラグカバーを引き抜いた。
プラグの点火部を見た。カーボンも着いてないし、ゲージも大丈夫だ。
もちろんオイルもついていない。
じゃ、マフラーかな。もしそうなら厄介だ。
と、思いつつ「キャブかな」と思い、俺はシートを車体からはずした。
シートの下には、エアクリーナがついていた。

そこで俺は気づいた。
ほかの部位は整備していて、エアクリーナだけすっぽり抜けていた。整備するのを。
「もしや」と思い、エアクリーナーカバーを開いた。

そこには、真っ黒になったエアクリーナがあった。

何たる失態だ。初歩中の初歩じゃないか。エアクリーナの確認は
俺はへこんだ。と共に安心した。
不調の原因がわかったからだ。対処方法も知っている。
俺は、エアクリーナーをはずし、クリーナーの周りにあるスポンジをはずし、
灯油を入れたポリ袋に浸した。そしてスポンジを握った。

見る見るうちに灯油は真っ黒になった。
まるで、水に黒絵の具をたらしたように。
そして、新しくポリ袋に灯油を入れ、またスポンジを握る・・・。
それを2、3回繰り返したとき、やっと、灯油がきれいなままになった。
エアクリーナーの掃除はこれで完了だ。
あとは、スポンジに2ストオイルを軽く塗って終わりだ。

俺は、スタンドの店員に、2ストオイルの有無を聞いた。
できれば30mlぐらいでいいのではかり売りできないか、と。
俺の作業を一部始終見ていた店員の人は、ただで2ストオイルをくれた。
おまけにクリーニング処理で使った灯油も引き取ってくれるとのこと。
俺は非常に感謝し、ここで、相棒にご馳走させることに決めた。
そう、ハイオクを入れることにした。
せめてものお礼だ。

給油が終了し、俺はPAを出た。
先ほどの不調は何処に、と思うほど、相棒は調子よく走り続けた。
最後のICに着いた。俺は高速代を払い、下道に入った。
時計はすでに6時を回っている。サイフの残りは1000円切っている。
急いで金下ろさないと、今日中に青函連絡船に乗れない。
それどころか、夕飯食ったら野宿確定だ

さすがに青森で野宿は暑すぎて嫌だ。
散々汗かいたので風呂にも入りたい。
制限速度オーバーで下道を走り、都市銀行のATMを探した。

しばらくして、ATMを見つけた。
よし、まだあいている。時計を見ると6時58分。
ぎりぎりだ。俺は急いでキーを抜き、メットをかぶったままでATMに走った。
滑り込みセーフ。ぎりぎりで金を下ろせた。

あとは、青函連絡船に乗るだけだ。
乗れなくても、どこかにとまる分の金ならある。
俺は、青函連絡船のターミナルに向かった。

<その4に続く>
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馬鹿が北海道にやってきた!ヤア!ヤア!ヤア!(4)

青函連絡船のターミナルに向かった。
まずは出航時間をチェックすることにしよう。
函館まで3時間ぐらい。
着いたときに宿を探すのもかったるい。
ライダーハウスはいくつか押さえているが、あまり遅い時間と言うのも
他の宿泊者に迷惑がかかるだろう。

と、いうことで、ほぼ24時間出航しているので、飲むとするか。
どうせ、連絡線の中では寝てるだけだろうし。
どうせだったら、函館の朝市に行こう。
だったら、深夜出航便でも大丈夫だな。

俺は、青森市内の中心部に向かった。
思っていたより大きい街だった。
夏の時期、「ねぶた祭り」が行われることで有名だが、
まだ少し先だ。
それでも、週末のせいか、結構人はいた。

それにしても、一人で飲みに行くのは好きな方だが、
知らない街じゃ勝手がつかめない。
それに俺は、長い間単車に乗りつづけるとナニが起っちまって仕様が無い。
「いっちょやりますか。」
そのとき、俺は邪悪なオーラが漂っていただろう。
片っ端から女の子に声をかけた。
もちろん、掛けられたりした。
キャバクラの勧誘だったり、
「兄ちゃん、いい子いるよ。」とおばちゃんが誘うので待ってたら、
そのおばちゃんがセーラー服着てやってきました。

さすがに俺は遠慮しましたが。

20人ぐらいに声をかけ、やっと女の子2人組をゲットしました。
年は俺より2歳上の子で、片方は俺の出身と同じでした。
で、同じ市内だったので名前を聞かれ、答えたら、
「もしかして、修学旅行で本番したのばれた奴ってあんた?」
といわれました。

えー、俺。有名人だったんです。高校の頃。
でも、こんなとこに俺の悪事を知ってる奴がいるとは。

そんなこんなで盛り上がりまして、3軒目に突入しました。
俺は、半分当初の目的を忘れ、
「いかにして愛を確かめ合うか」モードに突入してました。

まあ、失敗しても楽しく飲めたからそれはそれでよかったが。
で、俺は、狙ってる子に、
「俺、そろそろ行くんで。楽しかったッス。」と言いました。

すると、その子は、
「せっかく仲良くなったんだから私の家に泊まっていかない。」とうれしい一言。
更に、俺と密着してるし。
ここで、据え膳食わねばただのへたれでしょう。

とーぜん、泊まりました。その子の家に。
結論から言うと、
めちゃ気持ちよかったです。
これも旅の醍醐味って?何か違う気もするが。

なんかすごくあったかかったね。
すごく名残惜しくなったけど、やっぱり当初の目的はね。果たさないと。
と、言うことで次の日の早朝、その子の見送りのもと、
俺は青函連絡船に乗りました。

いよいよ北海道上陸です。
船に乗っている間、俺は昨夜酷使した腰を休めることにしました。

たまには、バイク以外のものに乗るのもすっげーいいです。
<その5に続く>
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