俺は生まれ育った国を捨てようとしている。
生まれた環境でその後の一生が決まっていくようなこの国を。
自分の意志を持つことすら否定される腐ったこの国を。
かって俺は、この国の軍にいた。いわゆる徴兵制度ってやつ。
俺は国境警備隊にいた。越境者の取り締まりをするところだ。
この国は越境者には厳しい。見つかったら即射殺か収容所行きだ。
そして、サイドビジネスとして、金を受け取って逃がし始めたんだ。
いわゆる「逃がし屋」ってやつ。
彼女は、越境者を支援するNGOのスタッフだ。そして俺の窓口だ。
何度も接し、だんだん俺は彼女と色んなコトを話すようになった。
彼女の生まれ育った国のこと、彼女から見た俺の国のこと、そして彼女自身について。もちろん俺も話した。俺の国のこと、俺から見た彼女の国のこと、そして俺のこと。
お互いコトバが違うし、おおっぴらに声立てるわけにもいかないので筆談で話していた。
いつのまにか、俺は彼女に会うのが楽しみにしていた。俺の知らない彼女のセカイをもっと知りたい。
というより「彼女を俺のモノにしたい」というのが本音か。
時間と人目を気にせず抱き合えたらどんなにいいことか。
ただ、そのためには、俺がこの国を捨てなければならない。
戻ったら最期。俺に残される選択は強制収容所での一生か、銃殺刑だ。
どうするか悩んでいた。国を出るか、とどまるか。
転機が訪れたのは昨日のことだ。
いつもの「逃がしや」の打ち合わせのとき、彼女は悲しそうに言ったんだ。
「今年一杯で帰国しなければならない」と。
俺は打ちのめされていた。そして、俺は母国語でこう話した。
「君とずっといっしょにいたい」と。
そして、彼女に接吻したんだ。強くだきしめながら。
周りの目なんか気にしていられなかった。
そして俺は言った。「だから俺は国を抜け出す」と。
暫しの沈黙のあと、彼女が俺の国の言葉でこう話した。
「私もずっとあなたと一緒にいたい」と。
そして、彼女がいるNGOのベースオフィスの住所と大まかな地図をその場で書いてくれた。
最後に彼女は言った。
「私の国では、クリスマスと言うんだけど、12月24日の夜は、恋人といるのが多いの。
そしてプレゼントを交換するの。わたしも貴方が欲しい。だから…」
拙い言葉だし、俺の国にはクリスマスと言う概念がない。国ぐるみで神を否定しているからだ。
ただ、「12月24日は恋人といる日」というニュアンスは感じ取れた。
「必ず生きてわたしのところに来て。それがわたしへのプレゼントよ。」
そう言った後、俺に接吻して彼女は引き返した。
翌日の深夜、俺は河を渡ろうとしてた。川越えで国境線を越えるつもりだ。他の越境者と同じように。
モタモタしてると気づかれてしまう。
こうなったら長居は無用だ。俺は12月の河にダイブした。
河の水は冷たいなんてもんじゃない。おまけにいつまでも頭出していると国境警備隊に見つかってしまう。
ここで見つかるわけにはいかない。
そして、寒さはだんだんと俺の身体を蝕んでいく。さび付いた扉のように動きが悪くなっている。
100メートル先の川向こうがやけに遠く感じる。
後ろを振り向くとサーチライトが回りつづけている。
ライトが近づいたら潜る、遠ざかったら顔を上げるの繰り返し。
幸い向こうの国境はまだ動いていない。
俺を支えるのは、彼女のコトバ、柔らかい唇や身体の記憶、そして生まれた国に対する憎悪だ。
こんなとこでくたばるわけに行かない。彼女にまた会うまでは。
川向こうが近くなってきた。俺は隣国の警備兵がいなく、死角になっているところを狙って接岸した。
1つ目のヤマは超えた。替えの服に着替えた。濡れた服じゃ「越境者だ」と言っているようなものだからだ。
そして俺は岸から離れた。彼女がいるNGOのオフィスまでは1昼夜というところだ。
俺は腕時計を見た。日付は23日、そして時計の針は午前2時を指している。
24日の夜までに、彼女に会わなければ。いや今すぐにでも会いたい。
俺は人目につかない場所を辿りながら、彼女のいる場所に向かった。
走っては人目に隠れながら休みの繰り返しで少しづつ彼女のいる場所に近づこうとしている。
そして、ついに街が見えた。街は雑踏に包まれていた。
聖誕夜のせいか、やけに人が多い。これならバレる心配がない。
1本の樅の木がやけに目立っていた。俺は隣にある家屋を見た。
手に持っているメモと照合する。
間違いない。ここが彼女の住んでいるところだ。
そのとき、俺の名前を呼ぶ声が。聞き覚えのある声が。
声のする方を振り向くと、彼女が満面の笑みと涙を浮かべて立っていた。
俺は彼女に駆け寄り、きつく抱きしめた。もう離したくないと心の底から思った。
そのとき、粉雪が舞い降りていた。俺たちを祝福するかのように。
もし神というのが存在するのなら、声をあげて感謝したい。
俺にとっての「はじめてのクリスマス」。
俺は生まれ育った国を捨て、新しい自分として生きていく。彼女と一緒に。
俺は、暖かく、シャンプーの残り香が残るプレゼントを抱きかかえ、建物の中に入っていった。